思いもかけぬ所に運と夢?

  • 2019.05.02 Thursday
  • 02:03

ある日、必要としていたベットを偶然頂く事になった

記事をFBに書いた時に

「思いかけぬ所に運と夢が転がっているもんだ!」

と名古屋のMさんにコメントされて、ふと思った。

あれ、あたしの「夢」なんだったっけ?

2019年5月1日

令和という時代が訪れた。
私の平成の後半はちょっと空気の良い岩倉での
憧れの愛犬との生活と音楽活動だった。
そして16歳で愛犬は去り
平成という時代に別れを告げる様に
大家さんの都合で17年住んだ家を
でて引っ越しする事になった。
思えば、自分ではどうする事も出来ないぐらい
持ち物も情報量も多くなり、
混沌として運気も澱んでいた所で、
全てを必然的に一掃するチャンスを
神様が与えて下さったとしか思えない。
「運は自分が切り開くものだ!」
という人もいるし、
「最初から全てが決まっている!」
という人もいる。
一人で歩いていた時はいつもこうだろうか?
あーだろうか?と一歩一歩悩みながらも
考えて歩いて来たが、
共に生活するパートナーが現れてからは
パートナーの動きとのバランスをとる生活を
自然と選んで来た。
バランスを取るのは大切で意味の有る事だと思うが、
凹凸の大きい相手であればある程、
バランスを取る事にやりがいを見いだし、
かなりのエネルギーを費やしもする。
バランスを取るのも「私」だが、
そこに「私」を中心と考えて行動する
意志は何%あっただろうか?
私が頭で理解出来る過去数百年?は、
女性は男性のサポートをする生き物とされて来た。
きっと機能的に女性がそれに適している
能力を持っていたためか?
子供を持った人は、子育てを生活の中心に置き
夢中で過して、ある日突然子供が巣立った時
「私自身」というのに突然向き合う事となるという。
20代から30代後半、目の前の事を精一杯に生きていると
どんどん色んな事が起きて、未知の未来が開けて行った。
体力も身体能力もあり、無謀にぐいぐい突き進めた。
そして、人望や経験も稔って旨く世に還元するサイクルを
作れた人は、晩年に油がのりやりたい事が出来る人生を掴む。
一方40代には、身体能力の低下に伴い
夢や野望を抱く気力さえも、衰えたり忘れたりする人もいる。
毎日をただ精一杯に生きることは大事だけれど
目の前の事に必死過ぎて、自分の道を見失ってはいないか?
近い将来の事、もっと先きの自分の夢や目標に向っているのか?
あれ?夢は何だったのか?目標は?
あれ?私は誰だったっけ?
今一度、リセットの時。
この時は大切にしなければ。
天皇が誰にどう変わろうと
一個人に直接関係はないはずだが、
人生の転機にさしかかった事は確かである。
使い古して、メンテナンスが足りていると思えない
ポンコツの身体をなんとかなだめすかしながら、
これからどう生きて行くのだろうか?
パソコンに向って文章を書いていても
その答えは見つからないのかもしれない。
引っ越しを機に仕事も考え直す時が来たが、
自分から就職活動をする前に、
幸運にも仕事をしないかと
知り合いから話がやって来た。
「人がいないから助けて欲しい」と。
それに、乗っかるのが今迄の私であったが、
何となく、そこには自分の意志がないようでもあり、
「残された短い時間に何をしたいのか?
考えて動かないとまた後悔するよ」と
もう一人の自分が言う。
私がまだまだ生きられたら、
助けてもあげたいし、何でもやってみたいが、
性格上一度やりだしたら、簡単にはやめられないから、
どうせなら、学びになる仕事や、
明るい未来に向う仕事や
毎日ワクワクに繋がる仕事がしたい。
そうだ、もし働くなら、
職場にそんな人生を送っている人がいる所で働きたい。
人との出逢いはとても大切だから。
そうだな。そうだ。
わかった。そうしよう!
慌てないで、何となくでなくて、
ちゃんと生きよう。
引っ越しして、整理が出来て
こうして、自分の事を考えられる
時間と空間を作れた事に感謝しよう。
そう言えば、先日若い人に
「今の若い人は自分がやりたい事ではない仕事をする時は
時給が良くないと働かないんですよ」という話を聞いた。
募集してもバイトが見つからないという雇い主は
時給を上げれば一発で求人が来るのだそうだ。
若い人は無駄がなくて賢いなと思った。
コマとしての無機質な単なる人手を求められていたとしても、
その代償が高時給であれば、自分でそれをしたい事に転換する事が
出来る可能性を生むというのだな。
がんばっても、誰かの能力で利益が上がったとしても
それを還元できない会社や雇い主がいる所では、
企業自体が発展しないし、職場内も飽和状態だろう。
ぼやっとしていると「無智が人を傷つける」
事もある。
自分で、自分の価値をつけずにいる事、
極端に言えば、
無気力も自分放棄も、自分の人生に置いて
大きな損失に繋がるのかもしれない。
と気がついた夜であった。
<おまけ>
今回家探しをして強く疑問に思った事が有る。
京都の家の賃貸の現状は貸主が借主に対して
一方的に偉いという事だ。
貸主も借主がいないと成り立たず困る訳なのに
どうして、こうも一方的に横柄なのか?
人の不安や安心を商売とする保証会社が
貸主の間で変なブームを巻き起こし、
借主と貸主の間に保証会社を噛まさないと
家が借りれないシステムを作ろうとしている。
貸主の一方的な不安で保証会社を間に挟むのなら、
その掛け金をどうして、
借主が負担しなければならないのか?
それと同じ様に事業主は働いてくれる人に対して
感謝の気持ちで接しないとおかしいし、
そこで上下関係が生まれるのは
どうも不自然な気がする。
それに気がついた私は
将来どちら側になったとしても、
上下関係を作らず、感謝の気持ちを忘れずに
いこうと思った夜でもあった。
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